僕の兄の話

 

 

 みなさんこんにちは

 

 

やなさん。です

 

 

さあ、今日は1番最初の投稿と7つ目に投稿したときにちらっと登場した私の兄について僕が感じる思いをそのまま書いていこうと思います

 

ぜひ、以下の投稿も見てくださるとうれしいです 

afurokurabu.hatenablog.com

afurokurabu.hatenablog.com

 

 

正直僕の兄は今人生で1番のどん底にいると思います

そして何かアクションを起こさないと子のどん底からは抜け出せないと思います

 

僕の兄は、大学受験に失敗 そして、浪人性となり予備校に通うようなことは親から許されませんでした

僕の大学受験の時は、たとえ失敗しても予備校でもなんでも好きにしていいから頑張れ!という感じでした

 

なぜ、このように違いがあるのか

 

それは、決して両親が兄のことを嫌っているからとかではなく、兄に問題があったからです

 

 

 

兄も僕も野球を小さいころからやっていたんですが

 

 

兄は、野球も勉強も両立できる進学校に行く!と地元の公立高校に進学しました

 

ですが、そこで兄はある壁にぶち当たります

 

「思っていたのと違う」

 

 

勉強に関して、兄は中学の時から200人中40位くらいのポジションには居続け、そこそこ頭のいいグループに属しており、理科のテストで100点をとってきたこともあるくらいでした。野球に関しても、体は164センチ4ほどで小柄でしたが、ずっとレギュラーを張り続けていました。

おまけに体育祭や駅伝大会では、走るのが得意なのを生かして800メートル走では1位、駅伝大会では区間賞と順風満帆の生活を送っていました。

 

しかし高校に入り、そういった生活が一変。

 

勉強もはるかに難しくなっているし、野球では、当時、野球と勉強を両立したいという子に人気の学校だったため、周りも割と野球がうまい選手が集まってきていて簡単にレギュラーとは難しい様子

 

そういった周りの「思っていたのと違う」が積み重なったようで、だんだん学校を面倒くさがるように、、

 

母から見せてもらった兄のテスト結果は、最下位でした

 

野球では、1番大事な1年秋から2年生の時期をさぼるようになりました

 

 

 

根気よく母は車で高校のすぐ近くまで送っていましたが、母が家に戻ると兄は学校へは行かずどこかへ

 

 

ある程度の時間になれば家に帰ってきますが、もちろん学校側からは「今日、来ていないですがお休みですか」と母に連絡が来る

 

そのような生活がずっと続き、あと数日休むと留年というところまで行きました

 

 

正直僕はそのころ両親に迷惑ばかりかける兄のことを、人生で1番毛嫌いしていたので兄に関して関わろうとしませんでした

 

なので、どうして留年せずにすんだのかをよく知らないんですが、野球部の監督が何度も家に来てくれて、留年はしないように、無理しないで学校に来れるように話をしに来てくれていました。(兄と監督二人で話をしていたので内容は知りませんが)

 

そして兄は3年生になり受験生になり、ぼちぼち学校に行きだし野球にも行きだしましたが、

 

結局テストは最下位のまま

野球もなんとなくという行くとう感じで終了

 

 

ろくに受験勉強もしなかったため、大学受験を失敗

 

 

僕は、兄のそんな生活に両親が大変な思いをしているのを見てきたので、野球部を引退した後は必死に勉強をしました

 

 

僕と兄にはこんな違いがあったため、両親も兄の浪人にはお金を出さないと言ったのです

 

 

うちの両親は、本当にやさしいと思います

 

ちゃんと頑張っていれば、全力で応援してくれます

(僕は野球の強豪校に行きたかったので、私立の高校へ行きました。その時も高いお金を払ってくれましたし、大学受験の時も頑張っているから浪人してもお金はいくらでも出してあげると言ってくれました。そういった心の支えもあり僕は受験を成功できたと思います)

 

 

でも、兄はそんな両親のやさしさが分かってないのです

 

それは、今もです

 

 

 

この先まだまだ僕の思うことはありますが、少し長くなりそうなので

今日は、兄が人生ののどん底に落ちてしまった理由を話しました。

 

 

この続きは、また話そうと思っているのでよかったら読んでください

 

 

 

 

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました🙇‍♂️